福田病院の歴史

福田病院は明治40年の開設以来、
たくさんの赤ちゃんの誕生を見守って見守って参りました。

福田病院は明治40年5月1日、熊本市山崎町に福田 令寿によって開設されました。福田 令寿は熊本英学校を卒業後、英国に留学し、特に当時日本では地位の低かった女性の地位向上のため、産婦人科を専攻しました。

【シオン会診療所】
福田令寿は病院の隣にシオン会診療所を開設し、夜間、貧しい女性の為に無料で診療を行いました。

昭和元年、令寿の父杏春が学んだ古城医学校や、令寿の学問の系譜である熊本洋学校に隣接した現在地に移転しました。古城医学校では、高名な 「北里 柴三郎」 や東大産婦人科教授になった「浜田 玄達」が学んでいます。
また、熊本洋学校からは、「海老名 弾正」や「徳富 蘇峰」など、後の日本の思想界を担う人々を輩出しています。

福田 稠 院長
昭和49年、旧館を解体し、新館が建設され、その後数度にわたり、増改築を行ってまいりました。

福田 稠 理事長・松井 和夫 院長
南棟が完成し、新しくLDR、フィットネスクラブ、喫茶、売店、美容室、マタニティショップができ、 より良い女性のための空間になりました。

新本館が完成。創立者福田 令寿の精神の継承のシンボルとして本館の一部に旧館の玄関を復元しています。

松井 和夫 総院長・東 憲次 総副院長
熊本新生児病院と合併。
福田病院新生児センターとして、新生児の高度先進医療に取り組みます。

周産期の医療の基幹施設として、熊本県内で2番目の地域周産期母子医療センターに認定されました。

令和館が完成。1、2階には、200人を収容できるホールを設けました。職員が増え、一堂に集まる場所がなかったことと、患者さんやご家族、地域の皆さんとのつながりを大切にしたいという思いがあり、そのための交流の場として活用したいと考えています。

熊本地震で全壊した料亭跡地に、地域文化交流館 寿心亭が誕生しました。この地域の特性を生かし、地域の文化を継承するシンボリックなものをと考えました。